新田. 新田忠弘
瓜田. 瓜田幸治
瓜田. MSX Resource centerから送られてきた質問があります。なんせ30年も前のことなので記憶が曖昧な部分もありますが一緒に思い出しながら答えていきましょう(笑)部分的に僕も補佐的な回答をいたします。それでは!
背景について
MRC. マイクロキャビンで働く前の経歴について軽く紹介をお願いします。(学歴、経歴、他に音楽で参加した企画、音楽的なルーツ/影響を受けたもの、その他語るに値すると思われるものなんでも。)
新田. 高校時代に吹奏楽部でトロンボーンを、バンドではベースをやっていました。同じ時期にNEC PC-6001mk2でMMLを使って音楽を打ち込むようになりました。他にもSHARP X1 TurboZ (YM2151搭載)も使っていました。中学生の時にワーグナー(ニーベルング)と地獄の黙示録のサウンドトラックに出会い感銘を受けました。歌モノよりもインスト曲やアンダースコアに興味があったのです。伊福部氏の「ゴジラ」から多大な影響を受けてます。「AKIRA」の芸能山城組からも。
MRC. マイクロキャビンではどのゲームに参加しましたか。
新田. 主な代表作はXak, XakII, 幻影都市、フレイ、FF移植などですが他にもたくさん仕事しています。検索すると色々出てくると思います。
ツール
MRC. マイクロキャビンで曲作りに使っていたツールについて教えてください。
新田. マイクロキャビン自社開発のサウンドドライバー「チャーリーくんとあけみちゃん」、そしてコンパイル環境などを内包した統合環境に該当する「ゆみりん」と呼ばれていたものです。
MRC. そのツールはMSXに特化したものでしたか。それともMSX向けのコンバーター/エクスポーターを備えたクラスプラットフォームなものでしたか。後者の場合、そのクロスプラットフォームツールはMSX(またはMSX-MUSIC)の制約に密着したものでしたか。それとも自分自身でMSX用に調整したデータを作らなければならないものでしたか。
新田. ツールは各プラットフォームごとにありました。非効率的ですがMSXならばMSX専用のデータを作成しなくてはなりませんでした。
MRC. 時と共にツールの機能性は改良されましたか。それとも「ファイナルファンタジー」と「パーフェクト倉庫番」のかたわらで、「幻影都市」の技術的にきめ細かく進歩した曲も作れるものでしたか。
新田. 確かに進化はしていました。意外に思われるかもしれませんが、YUMIRINには曲のテンポを決めるコマンドがありませんでした。「FRAY」開発時に追加された「Hコマンド」というのがあり、これは楽曲全体のテンポを増減で微調整するコマンドでしたが、これがドライバーの仕様で同じ設定数値でも他機種に比べてMSXは速めになる傾向がありました。主にサウンドドライバーの割り込み処理からくる誤差だと記憶しています。当たり前の機能ではありますが、大きな進歩です。
MRC. マイクロキャビンの曲は全てFM6音+ドラムで構成されているように思われます。MSX-MUSICはドラムなしで9音のFM音源チャンネルが使用可能だったので、ドラムを必要としない曲ならば、このモードは十分実用できたはずでした。マイクロキャビンがFM6音+ドラムにこだわったのはなぜですか。
新田. 9音モードで使用した際に、そのチャンネル分の演奏データ自体でメモリーを消費してしまう...あまり利点を感じませんでした。
瓜田. 少し補足させてください。僕の場合ですが「プリンセスメーカー」で9音モードを使っていたと記憶しています。楽曲の内容によるとは思いますがメインは6音モードですね。
MRC. ドラムといえば、多くのMSX界隈のユーザーが、初めてマイクロキャビンのクールなスネアドラム音を聞いたときに感銘を受けました。あのFM音源とPSGによるスネアは、実際それまで聞いたことのない(少なくとも何度も耳にはしていない)ものです。あのスネアのためのツールがわざわざ作られたのですか。または誰でもすぐにあのようなスネアの音が出せるより一般的なツールだったのですか。
新田. ツールは前述の自社開発ドライバー「YUMIRIN」によるものです。ドラムサウンドの為に特別な機能があるわけではなく、また仕様的には一般的なものよりもむしろ制約の多いものでした。あのスネアサウンドに関してですが、あれはピッチ(オクターブ)をアップしたバスドラムのアタックとPSGのノイズを最適なテイル(エンベロープ)で組み合わせたものです。他にもハンドクラップはプリセットのハープシコードのピッチを調整して変化させたものであったり。要するにツールの性能などではなく連日繰り返したトライ&エラーの賜物です。
コンセプト面
MRC. 誰が開発中の新作ゲームのタイトルを決めていましたか。経営側でしたか。開発チームでしたか。作曲者(たち)は新作ゲームのためにどんな曲が作れるかについて発言しましたか。
新田. 企画は開発から提案されますが最終的な判断及び決定権は経営側です。曲の提案した時もあったかもしれません。
MRC. 作曲者(たち)は新作ゲームの音楽以外の面(ゲームプレイ,グラフィック,ストーリー,ゲームシステム等)について意見しましたか。
新田. 時にあったと思いますが口出しはしません。
MRC. 開発チームのメンバーと経営側が、それともそのどちらかが、このような音楽がよいという例として、作曲者(たち)に仮の曲を提供することはありましたか。
新田. 企画者やディレクターからヒントとして提案されることはあります。
MRC. MSX界隈では論争はいつものことですが、ビッグプロジェクトは失敗しがちとだということは、頻繁に議論される話題のひとつです。マイクロキャビンのゲームには、何枚ものディスクに膨大な楽曲とグラフィックを詰め込んだものが多いですが、開発チームはプロジェクトの肥大化に不安を抱くことがありましたか。そうでなければ、給料の他に、(フィーチャークリープを避けつつ)プロジェクトの続行を保つための特別な方法がありましたか。
新田. 現代の制作に比べて当時はまだ少人数というのもあり、特別不安を抱くということはありませんでした。
音楽
MRC. マイクロキャビン作品のような音楽を作れたMSXソフトハウスが他になかったという事実に、実際気付いてましたか。もしそうなら、アートコンペティションのように、他のソフトハウスを凌ぐものを作るよう務めましたか。
新田. 勿論自分たちがMSXソフトにおいての一番になれるよう常にベストを尽くしていましたが、実際にそうだったのかの自覚はありませんでした。まだまだこの先も、もっと他のメーカーとも一緒に盛り上げていきたかったですね。
MRC.「サーク」シリーズや「幻影都市」等のゲームには、おびただしい数の異なる楽曲が収められています。映画では通常、楽曲は少ないながら、より深い奥行きをもたせて使われています。マイクロキャビンとその作曲者の方々は、膨大な数の曲で盛り上げるのではなく、数を絞ったテーマをひっきりなしに展開させる映画的アプローチを試そうと考えたことはありましたか。少なくとも、RPGがアーケードのシューティングゲームやパズルゲーム以上に、はるかにインタラクティブムービーに似たところがあるからではありません。
新田. 発注曲数は企画ありきですね。幻影都市もおっしゃるような試みをしていますよ。音楽の使い方や曲数は、あの時代のものだから...と言える部分も多少あるのではないでしょうか。また、当時の日本のゲーム音楽においてはモチーフの展開や応用を理解されない事も少々ありましたね。
MRC. 音楽製作はマイクロキャビンのオフィスで業務としてされたものでしたか。それとも在宅でできたことですか。
新田. オフィスです。
MRC. 60~90秒程度の典型的な曲ひとつを作るのにどれくらい時間がかかりましたか。
新田. 当時の開発背景(ターゲットになるプラットフォームも考えて)もあり一週間ぐらいです。楽曲そのものよりも当時の開発環境からくるトラブルなどに振り回される事も多々あり、およそこの期間ぐらいになります。
MRC. マイクロキャビンの音楽のインスピレーションはどこから来ましたか。洋楽ですか。ハリウッド映画音楽ですか。J-POPですか。特定の作曲家またはアーティストですか。
新田. 音楽(特定の音楽ジャンルなど)よりも、バイク乗ったり風呂で頭がリセットされて思いつきます。
MRC. 開発チームや経営側によってボツにされた曲はありましたか。またはもしやこれに対する作曲者に決定権はありましたか。
新田. もちろんたくさんあります!決定権は場合によってはあったと思います。
MRC. マイクロキャビンが他のMSX-MUSICをサポートしたソフトハウスとは一線を画するものとして、音楽全般があります。そうした音楽を作り得たのは、いともやすやすと作れるようなツールなどあったゆえですか。それともサウンドデザインへの鋭く並外れた関心を実に分かち合ったゆえですか。
新田. 後者です。うれしいですね。簡単にやれるツールがあればよかったのですが。
ゆるい質問
MRC.「幻影都市」では(たとえば)「フレイ」以上にPSGが多用されていますが、それはどうしてですか。
新田. MSX2+の中にはFMユニットを搭載していない機種もありましたよね。「FRAY」ではそういった機種の為にPSGのみの楽曲データも用意してありました。実はPSG用の演奏データを先行して作成し、その上にYM2413のパートを重ねる形で編曲してあります。つまりYM2413のスロットをミュートすれば、そのままPSG専用の楽曲として聴くことが可能です。「幻影都市」では「FRAY」の様な作り方ではなく、作曲段階からPSGのパートも楽曲のアンサンブルを成す独立したパートとして作曲・データ化をしています。つもりこれは私ので’psgが一つの「楽器」として確立したという事実でもあります。
MRC.「サーク外伝ガゼルの塔」と「幻影都市」とでは、どちらの音楽がよいとお考えですか。そしてそれはなぜですか。
新田.「幻影都市」です。世界観の素晴らしさ、そして題材から感じた表現に対しての大きな可能性(あらゆる試みを受け入れられる柔軟性)がそのまま形になって現れていると感じたからです。
MRC. MSXや他のシステムにおいて、実現することのなかったゲームコンセプト/アイディアはなにかありましたか。もしあるなら、それら作品は私たちが聴いたことのないようなスタイルの音楽をフィーチャーしていましたか。
新田. あったかもしれませんが、そこからはなかったです。
MRC. あなたの見解では、「幻影都市」と「サーク外伝ガゼルの塔」は音楽について、真にハードの限界まで使いこなしたとお考えですか。それともMSXとMSX-MUSICが鳴らしうる最高のサウンドにはまだまだとお考えですか。
新田. 実現したいことにまだまだ到達していなかったと思います。そして今もまだ追い求めています。
MRC. MSX turbo R版「フレイ」のオープニングでは、PCMの音声を再生するたび曲が途切れ、冒頭から再び再生されます。ゲームの開発中、作曲者の誰ひとりこのことにすくみ上がりませんでしたか。
新田. MSXが全力で処理している様子に面白み(奇妙でおかしな)を感じていました。
MRC.「幻影都市」の曲は、平均して以前のマイクロキャビンのゲームのものより相当に長いです。それはMSX turbo Rが大容量のメモリを搭載していたためですか。それとも芸術的な理由や、実際的な理由がありましたか。
新田. 芸術的でかつフィルムスコアなどの手法に近づいた結果のクオリティアップ。メモリーの苦労もした覚えがありません。
MRC.「幻影都市」にはいくつか、よりミニマリズム的で映画の劇伴音楽のように機能している曲があります。それはゲームで求められたからでしょうか。それとも昔ながらの親しみやすい曲を凌ぐ、幾多の成熟した映画音楽のようなものを作りたいという個人的な願望ゆえですか。
新田. 願望からです。自由にやらせてもらった感じです。
MRC.「ガゼルの塔」オープニング最後のテンポの速いパートは、マイクロキャビンMSX作品のハイライトのひとつです。少なくとも私たちの好みだからということではなく、我々の限られたツールでは、このレベルの複雑な境地に到達しえなかったからです。この曲はどちらかというと同作中の曲や、他のゲームの曲と比べても珍しい部類の曲でもあります。この曲のコンセプトを提示したのは誰か、どのようにして作られたかを教えてください。
新田. 誰から提案されたものではありません。「Xak II」の時から温めていたアイデアでそれを「ガゼルの塔」で形にしたものです。私はいわゆる「メロディーメーカー」ではないと自負していますが、それ故にそこに辿り着いた逆転的境地に達したものだと自分では思います。
MRC. ひょっとすると覚えておいでかもしれません。MSX-MUSICのプリセット音色をひとつ新しいのに入れ替えられるとします。どの音色を入れ替えますか。そしてどのような音色を代わりに入れますか。
新田. クラリネットを入れ替えたいな(笑)あの音だったらPSGで代用出来る様な気がする。そして倍音が多く(フィードバックレベルを3程度にした)アタック感のある音色に入れ替えたいですね。
MRC. マイクロキャビンのゲーム向けの自作曲でなければ、かつてどのMSXゲーム会社とMSXゲーム用音楽をリスペクトしていましたか。
新田. 同じMSXのメーカーで特にリスペクトしていたのはコンパイルです。ディスクステーションは毎回楽しませていただいてました。あの中のチャイコフスキーのパロディがあったのですがそれが特に印象深いです。
MRC. マイクロキャビンのゲーム音楽と特にMSX向けに働く中で、他のスキル―たとえばプログラミング、デザイン、もしかするとストーリーライティングやマップ作成など―についても興味をそそられることはありましたか。
新田. キャラクターや背景のグラフィックの作成に興味はありました。音以外に絵にも興味があったのです。
MRC. ローランドCM-32用MSX-MIDIバージョンの曲もまた製作しましたか。もしそうなら、顧みて、FM+PSGバージョンと比べ、これらMIDIバージョンの曲についてのお考えをお聞かせください。
瓜田. これは僕のほうからお答えしますね。当時、Roland CM-32L版のデータ制作は主に外部の制作会社にお願いしていました。マイクロキャビンの中では僕が主要な曲を数曲担当する程度でした。MIDIバージョンに対して皆さんが感じる事と僕が感じた事に大きな差はないと思います。良い意味でも悪い意味でも。
新田. ニーズもありましたし時代もありましたよね。
MRC. MSXでのゲーム開発のため、どのような種類の特有のハードやソフトが使われましたか(コーディング,グラフィックと音楽)。そして一つの企画にどれくらいの人数が参加していましたか。
新田. 開発にはA1WXやA1WSXなど。そしてA1STも。一つの企画には3人~10人くらいかな。
MRC. サーク・サークII・ファイナルファンタジーなど、いくつかのゲームは様々なプラットフォームでリリースされました。他機種で同じゲームを開発するチームとの間で、明らかな相乗効果はありましたか(MSX2,PC-98,PCエンジン,X68000等)。それはどれですか。
新田. 他のプラットフォームへの移植の開発は、外部の企業が行う場合が多く、特別な関わりあいが無い場合がほとんどでした...。ただし、こちらが移植を引き受ける場合には他の機種よりも良いものを作ろうと思ってました。
MRC. 他のプラットフォームでリリースされた移植版には関わりましたか。おおむね同一の曲を使用しつつも、使用したハードゆえサウンドは大いに異なります。移植版の曲の仕上がりはMSX版と比べてどうですか。
新田. 例えば「Xak」に関してですが、まずNEC PC-8801mkIISRシリーズで最初にリリースされました。そして、MSX、SHARP X68000と移植されましたが、それぞれにそのハードに搭載されたサウンドチップが持つ良い面を生かして作曲しました。
MRC. 日本ではMSX以外にもより性能の良いプラットフォームが数々存在していましたが、それら競合ハードに対し、MSXの長所と短所は何だったとお考えですか。
新田. 長所かどうかわかりませんが、個人的にはグラフィック。特に発色の具合が素晴らしいと思います。短所はサウンド面...だからこそ我々も努力のしがいがあったし市場に入り込める余地があった。
MRC. 振り返ってみて、全体的にMSXシステムについてどんな感想を持っていますか。
新田. どういえばいいだろう。自分にとってはベストフレンド的なポジション。それは間違いありません。
ファングループについて
MRC. 少なくとも欧米では、マイクロキャビンの曲は、(しばしばオーケストラ風の)新しいアレンジを作りたいという作曲者に、その対象として人気があります。これらのアレンジされた曲を聴いたことがありますか。聴いたことがありましたら、それらアレンジにどのようなご感想をお持ちですか。そしてあなたの曲をカバーしている人たちがいるという事実をどうお考えですか。
新田. とても光栄に思います。残念ながらまだ聞いたことはないのですが是非聴いてみたいですね。
MRC. より一般的に、かつてマイクロキャビンで仕事をしていたとき、ヨーロッパやラテンアメリカ、韓国、中東やロシアにさえもアクティブで大規模なMSX愛好家グループが存在する事実をご存じでしたか。
新田. まったく知りませんでした。インターネットが生活の中で身近になってから初めてその存在を知りました。
MRC. 実のところ、MSX界隈のユーザーが作った最近のMSX関連製品を見たり聞いたりしたことはありますか? もしおありなら、最初にどんなことを考えましたか。
新田. SDカードスロットを搭載したカートリッジを見たことがあります。それにはとても感動しました!
全くランダムな質問
MRC. 今でも自作曲を聴きますか。それとももう気にすることはありませんか。
新田. 長く気にすることはなかったのですが、最近よく聴きます。
MRC.「ハッピーフレット」(マイクロキャビン製アクションゲーム)をプレイしたことはありますか。もしあるなら、どこまで進みましたか。
新田. すみません、「ハッピーフレット」がどんなゲームかわかりません。
MRC. ゲームの売り上げに関して、サークシリーズのような多機種間で展開された製品において、通常、MSXはどの程度の位置にありましたか。
新田. とても重要な位置にいたと思いますし実際とても注力していました。愛情あふれるユーザーがMSXには多かったですからね。
MRC. マイクロキャビン、コナミ、ファルコムかコンパイルが相撲大会をしたら、どこが勝つと思いますか。
新田. コンパイルの圧勝でしょうね(笑)広島の人たちは強靭そうですからね。あのユーモアと豪快さ!
MRC. 最後にMSXユーザへのメッセージをお願いします。
新田.
親愛なるMSXファンの皆様へ
MSXが私のデスクから姿を消したのが、1991年。「幻影都市」の仕事を終えた時でした。
その後、MSXを見たり触れたりする機会は1度もありませんでした。
2020年までは・・・
私は、2006年にマイクロキャビンを退職した後は、キャリアをストップさせ、このキャリアを再開することは無いと思っていましたが、2020年。大きな事態が起こりました。
コロナパンデミックです。
これによって、多くの人々が仕事を失ったと同じように、私も2006年からの仕事を失いました。そんな中、オランダのMSXファンから1通のメッセージが届きました。それは、MSXはまだ世界では現役であり、今なお進行中であることと、私の作ったMSX音楽を今でも愛してくれている人々が世界中に存在すること。そして「もう一度、音楽を作ってほしい」というメッセージでした。
私はこのメッセージを受け止めた瞬間、稲妻で撃たれたかのように目覚めました。長年眠っていた感覚が、昨日のことのように蘇ってきたのです。そしてここにきてMSXの本当の素晴らしさを知ることが出来たのです。
当時でもMSXよりも優れた機種は他にも多くありましたが、安価で世界共通規格というのがMSX最大の強味だと思います。性能の面で劣るが故の悔しさや、チップチューンの喜びも、あの当時に世界でほぼ同時に起きていたことを考えるとMSXの偉大さを感じずにはいられません。このかつての喜びは色あせるものではないと感じ、今後も持続させたいと考え、1台のMSX2+を購入しました。それは、29年ぶりの再会となりました。
そして私は、このMSX2+を主軸に、新たなプロジェクトを立ち上げました。それは「Oasis in 2op」と言います。2opとは、OPLL等、2オペレーターFM音源音源のことです。その音源は当時、世間から「おもちゃ」という様な低い扱いでした。こういった人々の認識こそ私のモチベーションであり、OPLLやPSGを美しく輝かせることが、かつての、そしてこれからの私の仕事です。「Oasis」とは、2opが美しく輝く場所のことです。それは心の場所かもしれませんが、存在しています。
先日、「Oasin in 2op - "CLOAD"」というマイクロキャビン在籍時のカバー曲を集めたミニアルバムを発表しましたが、これは始まりにすぎません。本当の「Oasis in 2op」はこれから始まります。是非!楽しみにしていて下さい!
最後に、私を世に送り出してくれたマイクロキャビンと、今なおファンでいて下さる世界の皆様に感謝申し上げます。
また、MSX時代から30年が過ぎており、MSXも私達も、プラス30歳となりました。
皆様のMSXと、皆様ご自身のご健康を心から願っております。
(このインタビューは2020年11月から2021年11月にかけておこなわれたものです)